空谷傳聲

学習日記

『史記』儒林傳 10

胡毋生,齊人也。孝景時為博士,以老歸教授。齊之言春秋者多受胡毋生,公孫弘亦頗受焉。 瑕丘江生為穀梁春秋。自公孫弘得用,嘗集比其義,卒用董仲舒。 仲舒弟子遂者:蘭陵褚大,廣川殷忠,溫呂步舒。褚大至梁相。步舒至長史,持節使決淮南獄,於諸侯擅專斷…

『史記』儒林傳 09

董仲舒,廣川人也。以治春秋,孝景時為博士。下帷講誦,弟子傳以久次相受業,或莫見其面,蓋三年董仲舒不觀於舍園,其精如此。進退容止,非禮不行,學士皆師尊之。今上即位,為江都相。以春秋災異之變推陰陽所以錯行,故求雨閉諸陽,縱諸陰,其止雨反是。行…

『史記』儒林傳 08

諸學者多言禮,而魯高堂生最本。禮固自孔子時而其經不具,及至秦焚書,書散亡益多,於今獨有士禮,高堂生能言之。 而魯徐生善為容。孝文帝時,徐生以容為禮官大夫。傳子至孫徐延、徐襄。襄,其天姿善為容,不能通禮經;延頗能,未善也。襄以容為漢禮官大夫,…

『史記』儒林傳 07

伏生者,濟南人也。故為秦博士。孝文帝時,欲求能治尚書者,天下無有,乃聞伏生能治,欲召之。是時伏生年九十餘,老,不能行,於是乃詔太常使掌故朝錯往受之。秦時焚書,伏生壁藏之。其後兵大起,流亡,漢定,伏生求其書,亡數十篇,獨得二十九篇,即以教于…

『史記』儒林傳 06

清河王太傅轅固生者,齊人也。以治詩,孝景時為博士。與黃生爭論景帝前。黃生曰:「湯武非受命,乃弒也。」轅固生曰:「不然。夫桀紂虐亂,天下之心皆歸湯武,湯武與天下之心而誅桀紂,桀紂之民不為之使而歸湯武,湯武不得已而立,非受命為何?」黃生曰:「…

『史記』儒林傳 05

申公者,魯人也。高祖過魯,申公以弟子從師入見高祖于魯南宮。呂太后時,申公游學長安,與劉郢同師。已而郢為楚王,令申公傅其太子戊。戊不好學,疾申公。及王郢卒,戊立為楚王,胥靡申公。申公恥之,歸魯,退居家教,終身不出門,復謝絕賓客,獨王命召之乃…

『史記』儒林傳 04

公孫弘為學官,悼道之鬱滯,乃請曰:「丞相御史言:制曰『蓋聞導民以禮,風之以樂。婚姻者,居室之大倫也。今禮廢樂崩,朕甚愍焉。故詳延天下方正博聞之士,咸登諸朝。其令禮官勸學,講議洽聞興禮,以為天下先。太常議,與博士弟子,崇鄉里之化,以廣賢材焉…

『史記』儒林傳 03

及高皇帝誅項籍,舉兵圍魯,魯中諸儒尚講誦習禮樂,弦歌之音不絕,豈非聖人之遺化,好禮樂之國哉?故孔子在陳,曰「歸與歸與!吾黨之小子狂簡,斐然成章,不知所以裁之」。夫齊魯之閒於文學,自古以來,其天性也。故漢興,然後諸儒始得脩其經蓺,講習大射鄉…

『史記』儒林傳 02

自孔子卒後,七十子之徒散游諸侯,大者為師傅卿相,小者友教士大夫,或隱而不見。故子路居衞,子張居陳,澹臺子羽居楚,子夏居西河,子貢終於齊。如田子方、段干木、吳起、禽滑釐之屬,皆受業於子夏之倫,為王者師。是時獨魏文侯好學。後陵遲以至于始皇,天…

『史記』儒林傳 01

tai4 shi3 gong1 yue1: yu2 du2 gong1 ling4, zhi4 yu2 guang3 li4 xue2 guan1 zhi1 lu4, 太史公曰、余讀功令、至於廣厲學官之路、 wei4 chang2 bu4 fei4 shu1 er2 tan4 ye3。 未嘗不廢書而歎也。 yue1: jie1 hu1, fu1 zhou1 shi4 shuai1 er2 guan1 ju1…

『史記』儒林傳 00

まずは『史記』儒林傳から。全文を掲示しておきます。 中央研究院のものを利用させて頂いていますが、底本は中華書局本(修訂版)とし、誤りは発見次第修正します。 太史公曰:余讀功令,至於廣厲學官之路,未嘗不廢書而歎也。曰:嗟乎!夫周室衰而關雎作,…

当面の予定

手始めに、『史記』儒林傳、『漢書』儒林傳あたりをこのブログにメモしながら読み進めていきたいと思います。取り敢えず本文をどんどん進み、注は時おりまとめて振り返って参考にする、という方向で行こうと考えています。 時おり休憩がてら、別の話題も書く…

開設

勉強したこと、考えたこと、観た映画、読んだ本…などなど、気まぐれに書き綴る所存です。 日記と呼べるほど頻繁に更新することはないでしょうが、宜しくお願いします。