空谷傳聲

学習日記

『史記』儒林傳 06

 清河王太傅轅固生者,齊人也。以治詩,孝景時為博士。與黃生爭論景帝前。黃生曰:「湯武非受命,乃弒也。」轅固生曰:「不然。夫桀紂虐亂,天下之心皆歸湯武,湯武與天下之心而誅桀紂桀紂之民不為之使而歸湯武,湯武不得已而立,非受命為何?」黃生曰:「冠雖敝,必加於首;履雖新,必關於足。何者,上下之分也。今桀紂雖失道,然君上也;湯武雖聖,臣下也。夫主有失行,臣下不能正言匡過以尊天子,反因過而誅之,代立踐南面,非弒而何也?」轅固生曰:「必若所云,是高帝代秦即天子之位,非邪?」於是景帝曰:「食肉不食馬肝,不為不知味;言學者無言湯武受命,不為愚。」遂罷。是後學者莫敢明受命放殺者。

湯武 tang1wu3:殷の湯王・周の武王

桀紂 jie2zhou4:夏の桀王・殷の紂王

 

ここからは斉詩の伝来について。ここは轅固生と黃生の論争について書かれている段。テーマは「湯王・武王による前王朝の討伐は、弑なのか受名なのか」といったところか。最後の景帝の言葉は、「食肉」が「言學者」に、「不食馬肝」が「無言湯武受命」に喩えられているのは分かるが、実際どういうニュアンスで喩えられているのかよく分かっていない。

 

 竇太后老子書,召轅固生問老子書。固曰:「此是家人言耳。」太后怒曰:「安得司空城旦書乎?」乃使固入圈刺豕。景帝知太后怒而固直言無罪,乃假固利兵,下圈刺豕,正中其心,一刺,豕應手而倒。太后默然,無以復罪,罷之。居頃之,景帝以固為廉直,拜為清河王太傅。久之,病免。

・圈 juan4:養家畜的柵欄(『新華字典』)

・豕 shi3:猪(『新華字典』)、日本でいう豚。

 

これまでに出てきた儒者同様、轅固生も竇太后に酷い目に遭わされている。

 

 今上初即位,復以賢良徵固。諸諛儒多疾毀固,曰「固老」,罷歸之。時固已九十餘矣。固之徵也,薛人公孫弘亦徵,側目而視固。固曰:「公孫子,務正學以言,無曲學以阿世!」自是之後,齊言詩皆本轅固生也。諸齊人以詩顯貴,皆固之弟子也。

以上が斉詩の伝来について述べた部分である。それほど難しくはない。

 

gong1sun1zi3,wu4 zheng4xue2 yi3 yan2,wu2 qu3xue2 yi3 e1shi4!」

「公孫子,務正學以言,無曲學以阿世!」

「曲學阿世」の出典。

 

 韓生者,燕人也。孝文帝時為博士,景帝時為常山王太傅。韓生推詩之意而為內外傳數萬言,其語頗與齊魯閒殊,然其歸一也。淮南賁生受之。自是之後,而燕趙閒言詩者由韓生。韓生孫商為今上博士。

ここは韓詩の説明だが、非常に簡潔な文章で終わっている。

以上の詩三家は全て滅びたが、その中でもっともよく現在に残っているものは韓詩ということになるのだろう。しかしその韓詩の傳が最も少ないのは面白い。