空谷傳聲

学習日記

『史記』儒林傳 08

 諸學者多言禮,而魯高堂生最本。禮固自孔子時而其經不具,及至秦焚書,書散亡益多,於今獨有士禮,高堂生能言之。

 而魯徐生善為容。孝文帝時,徐生以容為禮官大夫。傳子至孫徐延、徐襄。襄,其天姿善為容,不能通禮經;延頗能,未善也。襄以容為漢禮官大夫,至廣陵內史。延及徐氏弟子公戶滿意、桓生、單次,皆嘗為漢禮官大夫。而瑕丘蕭奮以禮為淮陽太守。是後能言禮為容者,由徐氏焉。

・容 rong2:人的仪节有一定的法度(『新华字典』)

 

禮記の伝来に関する部分。孔子の時から經文がきちんと備わっておらず、漢代には高堂生による士禮しか伝わっていなかった。

次の段落は「禮官大夫」に任命された人物を列挙している。

 

 自魯商瞿受易孔子孔子卒,商瞿傳易,六世至齊人田何,字子莊,而漢興。田何傳東武人王同子仲,子仲傳菑川人楊何。何以易,元光元年徵,官至中大夫。齊人即墨成以易至城陽相。廣川人孟但以易為太子門大夫。魯人周霸,莒人衡胡,臨菑人主父偃,皆以易至二千石。然要言易者本於楊何之家。

ここは易の伝来を述べる。直線的に学問の系統が述べられている。

 

史記』においては禮、易に関する記述は以上で終わりと、非常にあっさりとしている。詩や書に比べると、禮、易、春秋はテキストが整わず学問系統も分かっていなかったのではないか、という気がする。

漢書』になると大分ボリュームが増して内容が濃くなるが。